無能日記

わらを編んで生活しています。

クリエイティブになれなかった話とこれからのクリエイティ部

クリエイティブについての4コマ漫画

絵日記

「君はクリエイティブが好きではないやろ?」

なにかの話の流れで、夫に言われた言葉。私が漫画を描くと言って描かなかったり、「楽して金を儲ける本」を読んでいたりと無粋なので、おそらく「この人はクリエイティブなことは好きではないんだな」と認識したのだと思う。

 

小説を定期的に公開しているわけでもないし、YouTubeは8回しか再生されない。そりゃクリエイティブではないだろさ。ただそれだけなんだけど、悲しくてスーパーで買い物しながら泣いた。

 

なぜ悲しいのか。それは、私がクリエイティブ的なものに対してこだわりを持っているからだと思う。クリエイティブではないかもしれないが、私は本当につくることが好きなのだ。つくることは、何かのパーツを組み合わせて新しいものを生み出したり、工夫したりして課題を解決し、ゴール(制作物)へと導くこと。その過程で新しい知識が身に付くことも楽しい。それは、人に認められるような地位もコミュニケーション力もなく、書類にハンコを押し忘れるだめな私が生きる上でのモチベーションになっている。そして、自分による自分のための作品ではないけれど、つくる仕事をして日銭を稼いでいる(企画をたてたり文章をこねくり回したりもするし、先日は自由研究のサンプルを大量につくった)。

 

それでも、私は「○○になりたくてなれなかった人間」にすらなれなかった人間なのだろう。

 

クリエイティブとはなにか

クリエイティブとは、一般的には創造的、独創的であること。日本語では、広告の製作物のことをクリエイティブと表現する。

クリエイティブとは何?Weblio辞書 より引用 

 

仕事の進め方などが「クリエイティブ」と表現されたり、制作部門が分類として「クリエイティブ」と呼ばれることもある。一般的には小説・絵画などの作品が一定以上のクオリティを持ち、作者ならではの独自性が感じられるときに使われることが多いと思う。

 

余談ではあるが、理系出身の研究者のインタビューによく「クリエイティブ」が登場する。文系の人が想像するクリエイティブが「CGやアニメーション制作」などであるのに対し、研究者からよく聞くクリエイティブは「300年後に役に立つかもしれない新素材をつくる」とか。かっけえよ。

 

みんなクリエイティブだったはず

前述の通り、「クリエイティブである」と認識されるためには、ある程度のクオリティ、もしくは評価があると良い。圧倒的なクオリティがあればもちろん誰もが納得する。くそスキルの漫画だったとしても、他のなにかで評価されている人が発表すれば「クリエイティブな一面もあるんですね~」とかなんとか褒められるだろう。パワー is ザ ベスト。

 

しかし、クオリティにもネームバリューにも関係なく、私たちにもクリエイティブといわれる時代があった。子ども時代である。「子どもはみんなクリエイティブ」、これはおためごかしでなく本当のこと。はじめてクレヨンをにぎって、ぐちゃぐちゃに描いてもほめられて、「すてきだね」って言われてほこらしく思ったことはないだろうか。あの頃、私たちはみんなクリエイティブだったはず。なにがどうしてこうなった。

 

これからは、みんなクリエイティブを求められる

かつてクリエイティブな子どもで、今は関係ねえという人も、今後クリエイティブと無縁でい続けることはむずかしい。

 

「漫画家を目指していたけど挫折した」

 

みたいな話は実際よくあるが、物事はそう単純ではなくなってきた。

 

YouTubeでもpixivでもInstagramでも、誰にでも自作漫画が公開できる時代。「少年ジャンプで連載する漫画家になりたい」夢を実現することはむずかしいが、「漫画家になりたい」夢なら、今すぐにでも実現できるはず。「○○になる」よりも「○○をする/しない」が重要なのだ。

 

「お店をSNSで宣伝したい」「プロジェクトについて解説するブログを公開」など、クリエイティブ職でなくても、表現力が求められる業務は非常に増えている。また、AIが広まることで「機械オンチにきびしい」と震えている人もいるが、これからより必要になるのは「機械にできない独創的な発想力」「自分で考える力」。それは文部科学省の学習指導要領「生きる力」からもみてとれる。

 

私たちはふたたびクレヨンをにぎり、真っ白な画用紙に絵を描く必要があるのだ。

 

クリエイティブになりたいけれど

「○○になりたかったけど、なれなかった」は幻想になりつつあり、クリエイティブにまつわる状況は大きく変化している。クリエイティブな副業をはじめる人が増え、適切な対価が支払われないなどの問題もある。

 

そんななかでも、私は自分の「なんでもてきとうで、○○をやってる人の輪に入れない…」というコンプレックスを持ち続けると思う。

 

そんなモヤモヤを息子に話したら、

 

「うーん…ママがクリエイティブかどうかはわからないけど、チャレンジャーだなとは思う

 

と答えてくれた。突然よくわからないプログラミング言語のワークショップに連れていかれたり、むずかしめの仕事でも「できるできる!」とはじめたり倒れたりする私を見ているので、なかばあきれ気味にそんな感想を持っているのかな。

 

そうだ。クリエイティブかどうかなんて、どうだっていい。
いつも気が散ってちがうことをしているけれど、
私はチャレンジが好きなのだ。