「やさしそうなお父さんだね」
と言われることが多かった。
「ダンディでかっこいい」
とも。お世辞がふくまれるとしても、見た目の印象は悪くないのだろう。
警官の突入
「失礼します」
昨夜、二人の警察官が透明なシールドで防御しながら父の部屋に突入した。「父がハサミを持って暴れています」との通報を受けて、警官がやってきたのだ。靴は脱いでいたので、緊急性はないと判断したらしい。
父が暴れているので今警察を呼びました。税金を使ってごめんなさい
— 樋口かおる(ねこの本) (@higshabby) May 7, 2022
10分ほど前。父が排便時に衣服や寝具を汚し、母が父のリハビリパンツ(以下リハパン、薄めのオムツみたいなもの)を交換させた。しかし、父は新しくしたリハパンをさらに交換したい。どうしても交換したい。リハパンを交換するために、ハサミをよこせと言う(大人向けのリハパンは手で切れない)。排便処理のストレスに加え、リハパンを無駄に使いまくる父へのストレスが空間を支配した。
母「ハサミはいらないの!」
父「ハサミがいるんだよう! このばかやろう!」
もみあいになった。父がハサミを持ってふりまわす事態となり、その場にいた私も説明するが制止できない。「リハパンを新しくしたところなので、リハパンをかえる必要はない」を理解するには、論理の組み立てを理解する認知力が必要だ。「暴れるなら警察を呼ぶよ?」と言ったところ、父が「呼べ呼べ!」と言うので、110番に電話をした(110番ほど緊急性が高くない時用の番号があると思うが、そのタイミングで思いつかなかった)。
リハパンと靴下で、警官に囲まれる
おまわりさんが二人くらい来るかなと考えていたら、ものすごくたくさん来た。ヘルメットにシールドの警戒態勢の人もいれば、スーツの人もいるし、婦人警官も。似た感じの人がいたり、外にも人がいたりして、人数を数えようとしたができなかった。私は数を認識したり短期的に記憶を保持するのが苦手。(こんな時でも私は役に立たないなあ)とぼんやり思った。8人くらい来たような気がするけど、間違っているかもしれない。パトカーが何台来たかもわからない。
父は私よりさらにぼんやりしていた。
状況を確認するため父と話した警察官は、困った顔で「話が通じません」と言った。たくさんの警察官に囲まれ、父は上半身肌着+リハパン+靴下スタイルでゆっくりと動き、リビングの椅子に座った。「誰かが来たから服を着る」考えは浮かばないようだ。うんこもちょっとついてたかも。
困った顔の警察官を見て、私ははじめて理解した。
年寄りにわからないことがあるのは当たり前だし、問題行動があるにしても、それ以外のことはできている。これくらいはどこの家にでもあるふつうのこと。対応できない私たちが未熟で悪い。そう思っていた。
でも父は本当に認知症で、それはみんなにとって当たり前の風景ではないのだ。警察官の一人が、リビングの家族写真を眺めていた。父も私も、赤ちゃんの時の息子も映っている。みなでアウトレットに買い物に行った時の写真。
父の認知症
現在、父は要介護1。基本的に自分のことは自分でできるとされる介護度。実際、杖を使わずに歩けるし、バスに乗って一人で出かけることもできる。新聞やテレビに「バカばっかり」と文句を言うこともできるし、観光客に地元の魅力を説明することもある。
でもそれは慣れ親しんだ行動の繰り返しだからできること。観光客は父が何を言っても「そうですね」と去っていくだけ。変だなと思ってもそれほど気にはしないだろう。観光客と会話が成立しているように見えても、警察官からの急な質問に答えることはできないのだ(やさしくゆっくり話しかければ返ってくる可能性はある)。
イレギュラーや新規の行動はむずかしいとして、不思議なのはこれまで繰り返してきたはずの排泄行動もうまくできなくなることだ。父にとっては新聞を読むことよりも、トイレに行って排便をする行動のほうが難易度が高い。肛門筋のコントロールなどもあるので、むずかしいことは理解できる。理解しがたいのはその後。父は、思わぬときに便が出てしまうと、処理しようとして床にうんこを塗りたくってしまうのだ。なかなかパンチの効いた行動である。破壊力クッソ高え。クソだけに。
トイレを適切に使うのは、それほどむずかしいことなのだろうか。猫は生まれて比較的すぐにトイレを覚えるし、老いたあとも自力でトイレに行く個体が多い。猫ができるトイレの利用を、新聞を読める人間がまともにできないのは不思議だなと感じる。でも、人間がトイレでの排泄を覚えるのは、生後何年もかかる一大事業。脳では案外複雑な処理をしているのかもしれない。人間の脳は高度な処理能力を持つ分、○○ができるのに××ができないといったバグも発生するのではないだろうか。
父はなぜ認知症になったのか
「あの人が認知症に?」と話題になることも多いが、私は父の認知症に関して、実はそれほど意外ではない。原因はこれじゃね?と思っていることがあるからだ。それは、父の「隠し癖」である。
父は、これまで多くのことを隠してきた。
母と結婚する際、父は自分の障がいを隠した。片手が思うように動かずブルブル震えてしまうのだが、ごまかしたまま結婚。三々九度のお酒は、震えで全部こぼれた。
もちろん、障がいがあることは悪いことではない。残念ではあるけれど、誰にでも起こりうる。問題は、隠したことだ。
障がいを隠しているので就職の面接に行けず、生活費はすべて母が捻出した。
障がいを隠しているので、適切な治療を受けられなかった。
障がいを隠しているので、受け取れるはずの補助金を受け取れなかった。
家にお金がないことを認められず、お金がないのを母のせいにした。
働いていないことを隠すため周りと距離を置き、友達が誰もいなくなった。
耳が遠くなったことを隠して返事をしないから、誰にも話しかけられなくなった。
認知の衰えを隠し、自分ではなく周りがバカだ、おかしいと主張した。
それでも、がんばってたことは知ってる。震える手を隠しながら子どもの世話をしたり、いろんなものを作ってくれた。がんばったと思う。でも、最初に「隠す」カードを選んでしまったことが、残念でならない。隠していては、適切な対応を選択することができないのだ。
隠したい。とても隠したい。やっぱり隠したい。
そんなことはわかっていても、人はとても隠したい。借金の総額も知りたくないし、増えた体重も量りたくない。つまびらかにしないほうが良さそうなこともある(私の10円ハゲは、存在自体忘れたほうが発毛効果が高そうだ)。
それでも、隠さないことが大切だ。隠さないとは問題と自分を切り分け、自分を責めずに、現状を知ること。必要ならば手助けを求めること。それによって援助を受けられる可能性も広がる。すべてあけっぴろげに開示する必要はない。特に、自分にウソをつかないことがとても大事だと思う。
父は今、うんこの失敗を隠すうんこ塗りたくり大臣になった。汚れた下着は布団の間などに隠している。
全く関係ないのかもしれないけれど、若い頃に「隠す」を選択したことが、うんこ塗りたくり大臣までまっすぐつながった道のように感じる。一つ隠すと別のことも隠すようになって、ちょっとずつ進んできた。
父が隠したから
父の「隠し癖」がなかったら、私はずっと「隠す」罪に気づかなかっただろう。
自分が優れていないこと。
自分ができないこと。
自分のダメなところ。
全部隠したいし見つめたくないけど、自分に対するウソは、できるだけつかないようにしたい。そして、自分の隠したいところは私のせいではなく現象に過ぎないのだと考え、隠すのではなく対策をたてる。それでもうまくいかないならまた現状を分析する。あきらめるを選択しても良い。
小さい頃、父が平泳ぎをする背中に乗って、とても楽しかった。
父は、大きな背中で一生かけて、私に「隠さないこと」を教えてくれた。
ありがとう。がんばるよ。
警察が帰ったあとの夜、父は一人で、ずっと笑っていた。