女子高生(私の営む駄菓子屋に発生した女子高生)が前髪を切った。
私「前髪切ったんだね〜」
女子高生「なんで、前髪を切ったのに私だと分かるんですか?」
え?と思った。変装や大幅なイメチェンをしているならともかく、前髪を切った程度の変化で、彼女が彼女であると認識できなくなるはずがない。
私「そりゃ分かるってもん」
女子高生「そうですか?樋口さんが前髪を切ったら、私は分からなくなるかもしれません」
ええ?私は特徴がいっぱいあるからすぐ特定される。前髪を切ったくらいで変装できるとは思えない…。
前髪を切ると分からなくなる理由
なんで、前髪を切った程度の変化で分からなくなってしまうのか。
女子高生によると、「人の顔をほとんど見ていない」ので、服や髪型が変わるとすぐ分からなくなってしまうとのこと。
それには納得がいった。実は私も人の顔をほとんど見ていない。服装なども見ていないので、後から写真を見て「こんな服を着ていたのか〜」など初めて気づく。多分、会話の相手がトイレに行ったタイミングで着替えても気づかない。人の顔や何を着ているかをふんわりとしか捉えてない。全体で「なんかシュッとしてる!」など思うことはある。
ただ、「ちゃんと人の目を見ろ!」と怒られることがあるので(すぐ忘れるけど)見るようにはしているし、前髪を切った程度の変化で分からなくなることはない。
人の顔を見ていないのに、前髪の変化で分からなくなる矛盾
そして、まだ残る矛盾。私たちは程度の違いはあれ、あまり外見を見ていない。しかし他の情報でそれなりに相手を認識しているならば、前髪を切った・服が変わったなどの変化にはむしろ翻弄されないはずである。なぜちょっとした変化で分からなくなってしまうのか。
多分、人の顔をちゃんと見ないタイプの人も全く見ていないわけではなく、なんらかの「見る」をやっている。そのなかでどこに注意するか?などの選択が下手くそ民のため、変数である前髪などの一部分を「よりどころ」にしてしまっているんだと思う。手すりだと思って掴んでるそれ、全然がっちり固定されてないからね!注意!
顔認識しながら生きている我ら
私たちはどうやって他人を認識しているのだろう。人を認識する技術は重要だ。指名手配の人がいたら気づいたほうがいいだろうし、人まちがいでトラブルが発生することもある。スマホは顔認識をセキュリティに使っているし、魚だって馴染みの魚を顔で判別しているらしい(*1)。
髪型や服装が変わった程度で人が判別できなくなる人は、顔認識の能力が低いといっていいだろう。ただ、そういう人は一般的な顔認識ポイント以外の部分で人を認識していて、他の人が気付けない違和感に気づく可能性がある。もしかしたらそれで何かを守れるかもしれないし、それこそが多様性の力。
また、みんなが同じように人の目や顔を見ている世界だと、「そもそもなんで人の目を見なくてはいけないんだろう?」と考える機会が生まれない。
だから私は、いろんな人がいて、いろんなことを考えられる環境が好き。人と違う感性を持っていると不便なことが多い。左利きくらいの違いでも、使いやすい道具が減ってしまう。効率が悪い。でも、それぞれが大切な違い。
前髪の変化だけで人が分からなくなる女子高生、駄菓子屋に発生してくれてありがとう。
※1